窓下に見える景色は、畑ばかりである。
殺風景な、と言ってしまえば、それまでだが、
この畑こそが、この国の国力であり、
"芸術の都"などと謳われる首都パリを創造した源である。
これは昨年、同じように飛行機からフランスを眼下にしながら思ったことだ。
今年も同様な感慨を持ちながら、
シャルルドゴール空港へ着陸するまでの時間を過ごした。
昨年と違う事は、それが想像ではなく、一度の経験だけども得た知識であるという事だ。
国土の4割近くが畑であり、農業、畜産においても、多くの分野で、世界の十指に入る生産大国。
まして、国民食料需給率は191%だというのだから、
この景色が、国力であるのは間違いない。
例えば、海に囲まれ、山地の多くはあちこちにゴルフ場の造られた緑が数多見受けられ、
そうでなければ、所狭しと軒を連ねる住居や、高層ビルが立ち並ぶ都市が隣接するような日本とは大違いだ。
ま、それが我が国の国力であるのかもしれないが、
食料需給率27%では、その力に真の力があるのか?と疑問に思う。
その殺風景な景色は、人知の限りを尽くし、
"芸術"を創造した原動力にもなった。
飛び抜けて高い山があるわけでもない。大きな川があるわけでもない。
それでも、フランス人は、自国に誇りを持っている。
民主主義の根幹
という自負。80年に渡って続いたというフランス革命こそが、
彼らが世代を渡り、血を流して世界に示した人知と精神であった。
神はその地に恵みを与えずとも、
その"命"を賭せる強固な意志が、神からの恵みであるように、
フランス人は、人知の限りを尽くして芸術を創造したのだ。
街を歩くと、いたるところに歴史を感じさせる建造物がある。
フランス人は、
「これは"まだ"200年くらいの歴史しかない教会です。ま、アメリカなら、200年"も"歴史あると言いますけどね」
と冗談混じりに言う。
自然の恵みではなく、人の創った月日こそが、フランス人の"魂"の核にあるのだ。
しかし、この一言にこそ、フランス人の根底に眠る、妬みや僻みといったコンプレックスも表しているのではないだろうか。
その負のパワーが、フランスがパリが、"芸術の都"と謳われる源となっている。
さて、我々、日本人はどうだろう?
日本人は、「アメリカも好き」「フランスも好き」「カナダも、オーストラリアも、中国も…」ってな、
良いように言えば柔軟性に富み、悪いように言えばポリシーがないといえる。
と僕は思っていた。
だが、違う!
日本人は、豊かな自然にも恵まれ、歴史もあり、世界が羨むような美しい建造物も遺っている。
だから、日本人はどの国も受け入れられるに違いない。
ただ、その寛容さばかりが、日本人は育まれ、自国への誇りや知識が薄れていったのだろう。
世界を知る。いや、知れば知るほど、僕が如何に日本を知らないかという事を思い知る。
我が国には、わずか数百万の観光客しか、外国からやって来ない。
アメリカにないものも、フランスにないものも、
ある、のに足が向かない。もちろん、極東という地理的問題もあるだろうが、
この国の持つ、自然、歴史、建造物…という、魅力を日本人自身に認識が薄いから、海を渡る魅力を伝える事ができないのではないだろうか?
例えば、"講談"という芸能だって、
とても誇らしいものだ。
講談のみならず、能狂言、歌舞伎、文楽、落語、浪曲…これだけの"伝統芸能"が、未だに連綿と続いている国は、そうそうあるわけではない。
まして、その芸能のなかに、歴史や慣習など教養となるものが多く演出され、
日本人には古臭くとも、世界には壮観でもあり、神秘的でさえある。
だからこそ、講談のような1人で創造する、一見地味な芸能でも、こうして、3年続けて海外へ行き、
世界の拍手を頂戴する事ができるのだ。
こうした芸能を絶たすことなく守ってきた日本人の"文化力"は、実は大きな"国力"である。
我が国の国力として、
"古典芸能""伝統芸能"
を、もっと日本人は意識を高めていくべきだ。
と、ま、自分勝手な発想だけど、
これを今回の『フランス総括』としたい。